尊敬する指揮者を綴り壁に立ち向かう

長らくあいてしまった。

冒頭に説明。これは私が尊敬する3人の指揮者から学んだことの記録、年齢性別名前は一切出さない。
尊敬する順などで書いてるわけでもない。

また、私がここに記してない指揮者の方々をなんとも思っていないというわけではない。
プロの指揮者や憧れている指揮者、単純に好きな指揮者などはこの記事に含まれていない。
学んだことに至るまでオール主観。ご理解願う。

レッツビギン

1人目
この人の指揮は歌いやすい、ピアノが弾きやすい。というより、歌いたくなる、弾きたくなる。包み込むような指揮の中で垣間見る茶目っ気や笑みは、歌い手の多くを魅了することだろう。譜面にとらわれず、クリエイティビティとメッセージ性を存分に引き出すための音楽を常につくる。
この人から学んだことは以下だ。
1パートに母音を豊かにする提案を続けるだけで、全パートの言葉始めの子音がよくなる場合もある。

2人目
腕の動きに魅了された。専門性に優れ、各曲がその特色を引き出されている。何しろ、常人がどちらかと言えば蔑ろにしそうな部分の音がこれでもかというほど輝く。強弱記号pを、小さく激しく演奏する方法を適所に組み込んでくる。指揮で自身が輝きを纏いそれを周囲に染み透らせ音楽をつくる。
この人から学んだことは以下だ。
ルールを守り、他者の考えを取り入れたとしても、表現方法は減らない。むしろ増える場合もある。

3人目
本人はよく、この方法良かったら使って、と言うがなかなか盗めない。人並み外れた音楽性と突拍子もないアイデアを兼ね備えながら、所謂キレーに指揮する。歌い手への要求は一見するととても高いが、よく目を凝らせば要求を達成しやすいステージは既に作られている。
この人から学んだことは以下だ。
弾くのも歌うのも音楽を語るのも指揮のうち。
「人気者」になろうとしなくても指揮者は務まる。


勝手に解釈して勝手に学んでるだけなのでご本人達のこう思われたいという希望があれば則してないかもだけど、この3つが私の今の指揮を支えてる

今一度要素を見つめ直したわけだし
壁、乗り越えるなりぶち破るなり、突破したい

では、また。人生は打算的に。