成長とは

タイトル詐欺です。別に結論のある話ではない…orz。や、詐欺ではないか。うん。

自分に厳しくすることだけが自分の成長に繋がるのかと思ってたんだけど、違うんだね。今日、わかりました。
なんで違うのかって言うと、「厳しくする」のとらえかたを間違ったら自分の良い部分を潰すことになってしまうから。他者も悲しませることになるから。

自分一人の力でどうにかする、とか完璧主義を徹底する、とか出来ない自分を責める、とか、そういうのは自分に厳しいけど。皆のためではない。(時にはそういう厳しさもたまーに必要なんだけど…多分…)

「社会は厳しい」「社会人になったら成長しなきゃいけない」とはよく言われるけど、その厳しさって想像してたものとは違うんだね。

私は「社会人になったら成長しなきゃいけない」理由は自分に厳しくしなきゃ細かな欠点を他の人から責められ法的責任となってのしかかってくるからだと思っていた。(そんなわけないじゃんと思う人は思い切り笑ってくれて大丈夫(笑))

でも、自分に厳しくするのをむしろ辞めなきゃいけなかったんだと今日わかった。自分が自分に厳しくしたくても、他者が手を差し伸べてくれたら迷わずとる!

誰かに何か言われたら、その場で反発せず受け止める。(尚この時に謝るか謝らないかの判断はまだまだ迷い未だに改善されていないっ、今はわからないからお礼だけ言って「えっ、ありがとうございます!そうだったんですね」みたいにしてる。これからがんばる…)妥当だと思ったら改善し違うなと思ったら自分の中で切り捨てる。余計なお世話はほっておく。

この行動を繰り返すのが、成長につながりそうだなぁっと、考えが変わっているけふこの頃でした。

アデュー!

新年の目標的なsomething

人を愛するために自分を愛する選択を取り続けること。これが私の新年の目標的なsomething。

これは今と未来の自分のために書いている。
(案外忘れがちだからね。)
しかしながら、見た人の中でもしも似たまたは同じ目標を持っている人やこれから持つ人がいたのなら、それはそれで楽しいし素敵だろう。

例えば↑こういう簡単なことでいいのだ。人を愛するために自分を愛するって。

この目標は社会人になってしまえば難しいかもしれない。だって、親から離れたりパートナーと暮らしたり一人で暮らしたりすることだろう。少なくとも人生を送るためのお金を手に入れるために多忙な日々を過ごす可能性がある。あるいはそうでなくとも、学生生活を終えたら社会に貢献するものだ=社会に出れない人は負け組だ、という自他が無意識のうちに持つ認識から逃れるのは難しいかもしれない。(しかしこの目標を達成した暁にはこの社会云々の認識すらも突破できる可能性がある)

この目標は哲学っぽい気もする。
自分を愛するってそもそもなんだ?疲れてるときにちょっと良いものが食べたくなって遠出するか否かこの二択でさえ難しい。良いものを食べるか、これ以上体を疲れさせない方法をとるか。ここでちょっと悩むのだ。
しかし、この目標には大きな利点がある。たとえば葛藤していると、誰かが「美味しいお弁当買ってこようか」と言ってくれたとしよう。すごい嬉しくない?どちらかを犠牲にしないといけないはずなのにその人のお陰で疲れずに美味しいものを食べられるんだよ…!?その人が見返りを求めたのか求めてないのかなんて関係ないし、そもそも人を愛するために自分を愛してるわけだから、自然にその人にも何らかの形でお返しすることになるだろうし、罪悪感もない。そして感謝の念が自然に湧く。このシステムはすごい。

未来の自分は、今年何度か人生のターニングポイントとかいう何かに幾度も出会うかもしれない。
でもこの根底を忘れないでほしい。
これを重視した選択をしてほしい。
人の中には自分も入ってくる。
社会貢献って一人でも多くの人を幸せに導くことだよね(厳密には違うかもしれんが)。これ、最終目標としてはとても大切なんだけど、幸せ、というと衣食住などの環境や安全性や他者との関わりや承認欲求を満たさなくてはならない。他者のそれらを間接的にでも満たすのって結構難しいかもしれない。

だから、まずは単純なことから。
人を愛するために自分を愛する。
そして継続は力なり。その選択を続ける。
これを読むに、今書いてる中では愛するは「心から大切にする」ってイメージみたいだ、自分の中で。
愛するの定義は途中自分の中で変わってくるかもしれない、そうしたらそれを加えた愛し方をする。

とても簡単でとても難しい目標ができた。
ので、やってみようと思う、がんばれ!

今年のSUCC後期定期演奏会を終えて

早一週間。
昨日の反省会も含め、楽しかった。

そして現在、おかげさまで、お見舞いにいったり、音楽団体のチラシを作成したり、トイックの単語を暗記したり、新鮮な忙しさを経験してます。
この先歌、指揮やピアノをやる機会もさまざまな音楽団体からいただいています、感謝です。

もちろん皆さんに感謝してるのですが、素晴らしいことはかけないので、団外でこの人がこんな協力してくれた、みたいな形で書いていきます。

団員全員に助けられたのも勿論事実。
そして、見えないところで知っている人知らない人が共に支えてくださったのも事実ですから。

今でこそ入院(でもリハビリなう)している祖母ですが、前は電話でよく相談に乗ってくれました。歌声喫茶や電話越しで歌ったりもしました。「音楽の才能がないー」とか「コミュニケーションってどうやってとるの」と泣きついていた私に「あなたは天才だから大丈夫よ」と(それはそれでどうなんだという意見もあるやもしれませんが…はは)いって自信をつけさせてくれました。今日会えたし次会えるの楽しみです。

小学校合唱団(なお母を含む)の皆さんは、大学生に対してでも小学生に対してでも、一本貫き通す方法をたくさん教えてくれました。団員の皆さんが、私のやったことにとにかく素直に反応してくれて嬉しかったです。教師陣の皆さんはSUCCの合宿があるときには私のいない間も小学校合唱団を鍛え上げてくれて、私が合宿から帰ってきたらその小学校合唱団の練習や本番からSUCCに応用できることがないか考えてくれました。練習と3月本番楽しみです。

Canta Fioreの皆さん(なお母を含む)は、私に良い発声法(学指揮の発声は皆の発声になりうる)を直接的に、間接的に、共に演奏しながら教えてくれました。社会の常識も教えてくれました。トークやMCのコツも。いろんな種類の譜面台や機材の設置や片付けも、私が手こずっていても見守ってくださり、できるまでつきあってくれました。練習と1月本番楽しみです。

中高合唱部の皆さんはお互い別な音楽団体で忙しいのに今年夏終わりの本番に出て切磋琢磨しました。同期も後輩も私が高校生の時生意気だったにも関わらず笑「さらにかっこよくなった!」とだけいってくれて一緒ににこやかに本番を迎えてくれました。パートがころころかわって合わせや本番1分前まで譜読みをしていたのはウケますが、あのお陰で今回SUCC定期演奏会の膨大な暗譜や各パートの把握を無事自信をもってできました。来年も楽しみです。

ピアノ教室の皆さん(なお母を含む)にも、多くを教わりました。4歳からやってたけど、ピアノ教室の皆さんが音楽全体を大好きだということ、合同レッスンの度にとてもよく伝わってきます。だから、なかなか普段合唱をやらない皆が一生懸命歌っているとき、合唱が好きでしかも合唱を常日頃からできる環境にいれる自分が頑張らずにどうする!って思えました。明日の合同レッスンと12月27日楽しみです。

歌声喫茶で一緒にすごした皆さんからは、まず歌ってこういうものなんだなって学びました(2歳のときに皆さんの歌声きいたんだから当然ですね)皆で一緒に楽しむとはどういうことなんだろうってたくさん考えました、あそこで。前に出て歌う人は歌手気取りになるんじゃなくて皆が一緒に歌いたくなるように歌ったほうが雰囲気がよくなるのかな、とかでも声が通らなきゃたのしめないよね、とか色々考えました。また行きます。

夢コンサートで中学生のときご一緒した皆さんにもセッションや個性の出し方などたくさん教わって、その感性を持っていたからこそ、SUCCの皆を見た時、こんなに素敵なものを持っている人がたくさんいる!って感激しました。で、どれも大切にしたいなって思えました。

今年の絆コンサートで、指揮の相談に乗ってくださった先生、感謝申し上げます。おかげさまで、『終わりのない歌』、あの難易度にもかかわらず、一音一音意味を持って切る・紡ぐきっかけを作るような指揮をすることができました。

共に演奏した虹やその他の大学合唱団の皆さん、大学教職員の皆さん、団員の皆さんのご家族ご親戚の皆様からも、去年や今年お誉めのお言葉をいただいたり、応援していただいたり、と御協力いただきました。

一番近くにいて一緒にやってきた団員にもとてもとても感謝しているのですが、お客さまや御協力いただいた皆さまへの感謝も尽きないのです。


この思い出と感謝を胸に、この先人生を歩みたいです。SUCCの引き継ぎはもちろん、色んな団体の本番や勉学、自分の夢、がんばります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

性悪説

はじめにタイトルとは関係ないのだが、最近ダメなことが多い。課題をその日まで持ち越したり、持ち物を忘れたり、通しで歌詞を間違えたり、気配りが偏りすぎて一定の人に辛い思いをさせたり。

こんな調子だから「珍しいね」と言われる。
(これを珍しいと表現してもらえるだけの行いを普段してるのか、少し自分に驚いた)

まぁ第一に、珍しいことはおこっている。身内ではちょっと(私が大変なのがちょっとというだけで当人たちはものすごい大変かもしれない)大変なことが起きているし。

第二に、昔から「えー、ここでは普通がんばれるだろ」「ここはがんばってくれるだろう」という周囲の期待にこたえられない。周りの皆がものすごい勢いでラストスパートを掛けるときほど、え、なんであなたはそこで立ち止まっているの?というところでつまづく。

第三に、体が不調だ。睡眠をきちんととって栄養のとれた食事を食べ、だらけることもなく仕事はそこそこして、他者から何かでものすごい責められたわけでもないのに体が不調。しかし顔に出ないから大丈夫?とかいわれることは少ない。

原因がわかってもどうにもできないこと2つと原因すらわからないこと1つで構成された鎖に心身を縛られている。

さて本題。こんな風になった時、自分が性悪説を好きだと再認識する。同期LINEに人間はかくも素晴らしいスタンプ送ってるけど。だって、もともと人間はダメなもの、となれば。最善を尽くす努力はするけどそもそも私にも過剰に期待しないでほしいと簡単に思えるし、相手に何をされたってもともと人間がダメなものだったらむしろそれに抗おうとする努力値に目がいく。その努力を優しさと呼べたなら素晴らしい。

更に核心に迫る。

確かに、もともとが悪であるからと悪事を働くのはもっての他だろう。だがもともと悪であるから怠惰な行動に出るときもあるのは納得できるし、もともと悪なのに善の行動に大きく出た時皆が心を動かされその人(の行動)を敬うと考えれば辻褄があうしすてきではないか。今私が性悪説をおしているのは自らを守るためでもある。

もちろん、幸福しかないような状態が生まれたらそのときは性善説に身を委ね、「もともと人は善なのだから信じてみよう」「私には人を思いやる性質がある」という気持ちを全面に出すのが良いことであろう。が、今のところそこまで環境の良い人というのもあまりきいたことがない。

それに、性悪説が素敵なのは、あくまでもともとの性質が悪いものというだけ。それにいくらでも抗える、行動を起こすことができると考えることもできる。もし落ちそうになっている人が赤子ではなく自分の敵だったらどうだろう。その時は、落ちそうになってる人を、性質じゃなく計算で助けたっていいじゃないか。見捨て去ろうとする己に抗い「いい行いをしなくては」と手を差し伸べる、そこに生じるエネルギーもきっと何かを救う。(何かを救うってかこの場合命助けてんじゃん)

えっと、漢文全然わからないので偉そうなことは言えないんですが(いや、いってる)そんなこんなで今は性悪説が好きなんですよ。

だから、性善説を推してる人って悩みとか大変さは別としてきっとキラキラしてるんだろうなという幻想を抱いている。

手紙を何枚書きすすめられるかわからない時間を使ってこんなブログを書いてるのは悪の性質に抗えない怠惰なのかもしれないね。でもいい行いをしようとはするし、頑張ることには頑張るからこれからも応援してほしい、あまりに高い期待はしないでほしい!よければ一緒に頑張ろう!はは、わがまま(笑)


それでは。人生は打算的に。

また久しぶりにかいたなこれ、アデュー。

ぼんど みゅーじっく

絆コンサート、お疲れさまでした。
同期、後輩、そして幅広い世代の先輩方、皆様に感謝申し上げます。
団の演奏や私自身の指揮をお褒めに預かるのみならず、温かな皆様と共に新たな音楽を作ることができ、光栄です。

ここまで堅苦しく書きましたが、ブログなので段々砕けていきますね。

まず、同期に感謝してるのは言うまでもないです。忙しい間を縫って「お疲れさま」「もうちょっとだね」「がんばろう」「よくがんばってるよ」
意見が違っても同じ目標に向かって歩み続けなければいけない、溝もあるし縛りもある、喧嘩も幾度となくした同期に言われる言葉はやはり格別。
言葉のみならず行動力もすごい。みんな結構「私/俺は何もしてないよ」って謙遜するけど、団のためになること、意識的にも、気づかないうちにも、大量にやってる。これからもがんばろう。

後輩の皆さんも最近努力が桁違いで、しかも目に見える形になってきましたね。学生指揮者としてそれが一番よくわかるのは声ですよね。とても魅力的。なんとしても現役合唱団の良さを見せなきゃ!という状態に普通なるであろう局面でさえ、あなたたちの声によって「とにかく最高の音楽を届けよう」という雰囲気に変わるのですから。
そのすてきな声を生んだのってきっとすてきな心ですよね。仕事を自分から手伝いにいったり、早めに演奏できる環境を整えたり、その一瞬一瞬が蓄積されて声の魅力にも繋がる、発声云々とは別にね。
そしてきっと、もっと伸びると思う。
月日が経っても変わらず声かけてくれたり、傍に来てくれたり、ありがとう。嬉しいです。

そして、このような私達を育ててくださっているのは先輩方なのですね。OBOGの皆様やプロの指揮者の方々の支えあってこそのSUCCなのだ、とわかる1日でした。コンサート自体にはいらっしゃらなかった年代の近い先輩方も、一瞬一瞬を大切に私達を育ててくださいました。
私は昨日まで、指揮において先輩から私自身を誉められるといったことはなく、あっても先輩方のくださったアドバイスに半分ほど応え、「良くなった」との言葉をいただく程に留まっておりました。
または、実際本気で誉めていてくださった方がいてもそれに気づけなかったのかもしれません。
とにかく、SUCC学生指揮者としての自分の存在を認めていただいたのだと、はっきりわかりました。
お誉めの言葉はもちろんなのですが、群青をふらせていただいた時からその雰囲気は感じられました。

今回の成功は普段バシバシ厳しいことをいってくださった方々のおかげでもあります。とはいえやはり人間の精神力には限界がありますので「これからもバシバシお願いします」とは言えないのですが、いただくお言葉は全て真摯に受け止め、団のためになるアドバイスを全力で活用させていただこうと思います。


さて、話は現役に戻って参りました。
気高く凛凛しい皆さんなので、昨日のコンサートを大成功、とは思ってもこれで終わり、とはきっと思ってないはずですね。
楽しかった昨日でさえ、反省点は山ほどあります。

リハにしろ発声にしろ、きっと、ここずれてるとかこうすればいいのに、っていうのは沢山あったと思います。それを改善しまくりましょう!

ただ「まだまだダメだ」なんて認識疲れますよね

だから

ひとつ、昨日おもったこと
それはリハで「うまくいかない」「失敗した」って時に浮かんだ皆さんへの感謝でした

ピアノと3曲目合わなかった、あぁ位置的に見えなかったのか、ってわかったとき
ピアニストさんは1曲目も2曲目も、雰囲気とテンポで指揮と歌に寄り添ってくれていたんだなって同時にわかった

一部メンバーのコンディションが悪い、演奏が盛り上がりにかける、ってわかったとき
いつもはあんなに盛り上げていてくれたんだ、私はひとりじゃなかったんだ、って形に見えてわかった

自分が何かを伝えて、相手が応えて「ありがとう」
確かにこれも美しいけど、相手が気づかないうちにやっていてくれたこと、これに気付けた時の感謝を最大限大切にした音楽を作りたい。それぞれの存在自体を最大限尊重した音楽を作りたい。

ようやく方向性が見えた。

そして、これを指揮や練習で伝えるのも役割なんですよね、わかってますよ、大丈夫!

昨日のコンサートに出席されず、このブログを読んでくださった方ももしいらっしゃいましたら、ありがとうございます。

皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。

しぇあーまいばりゅーあんどふぃーりんぐ

今回は合唱団の中で過ごすにあたりでてきた、怒りやひっかかることを綴りつつ、自分の価値観や希望も綴っていきます。

「この人はダメ」という認識にならぬよう努力しています。今から書くことは「◯◯な行動はせず□□してほしい」といった感覚で受け取ってください。

勝手に同調していただく感じですすめていきます((

さて、何を言いたいのかといいますと。
協力する前からダメ出しや過度な要求をしたうえ、それに応えないと文句を言う行為が本当に嫌です。
誰の得にもなりません。

とはいえ、それでも
あなたのことを愛しているんだよ、とか私の方が経験や経歴が上だとの反論はあるかもしれませんね。

まず、あなたのことを愛しているんだよといわれたらこう返したい。愛しているからといって何をしていいわけでもないのです。早い話、親だからといって子供を理想通りに育てあげるため自由を奪っていいわけではないのと一緒です。もっといえば勝手に好きだからといってストーカーしたり触ったりしていいわけではないのと一緒です。ですよね?はっきりいって、そんな愛情の注ぎ方をされればされるほど、心身共に崩壊してしまいますよね。


次、私の方が経験や経歴が上、と言われたらこう返したい。何を以てそうおっしゃるのでしょうか?と

例えば、ですよ。誰かと意見が食い違ったとき。例えばその人が合唱を他の人より早くからやっているとしても他の人に「君たちは私のいうことをきくべきだ」というのは如何なものでしょうか。
その人が合唱をやっている間も、他の人は編曲者だったかもしれない、ピアニストだったかもしれない、作曲家だったかもしれない。そこから生まれるものだって大切でしょう?
ご自身の経験や年齢、生き様を語られることはおおいに結構、もちろん私も興味を示しききます。
ですが、どれだけ貴重なご経験をされていたとしてもその間に他者が何もしていなかったわけではないのです。ここ意外に盲点ですよね。で、「なら経歴を全ていえ」とも言わないでいただきたいですね。この国には表現の自由がありますし、音楽団体の練習はプロのオーディションではないんです。経歴のすごさに順位なんてきっとつかないですし。



ではどうしてほしいか。それは

協力した上で、意見の相違が残っていたら、中身と形を「お願い」にしていってほしい。
ただそれだけです。

協力した上で、です。協力した上。
事務連絡の返信を早くくれるのでも、労ってくれるのでも、準備を毎回のようにしてくれるのでも、圧倒的出席率を誇るのでも、自分自身のスキルを磨くのでも、公私混同しないよう自制心をきかせて練習にとりくんでくれるのでも、なんでも嬉しいです、協力であれば。

そして、たかが「お願い」されど「お願い」です。
中身も形も、です。

「◯◯と△△して。お願い」
『◯◯はやってみますね、△△は無理です』
「△△もきいて、お願い。だって□□だから。」
『・・・あ、えっとですね…((』
これは中身がお願いじゃありません。

「あなたは◯◯するべき。□□だから。△△はあなたの負担になるから要求しないけど◯◯はして。」
『・・・あ、えっとですね…((』
これは形がお願いじゃありません。

となると
「◯◯してもらってもいい?」
『はい、△△してもらってもいい?』
「はい、□□はお願いできる?」
『難しいです』
「じゃあ××はどうでしょう」
『それでいきましょう』
みたいなのが、理想なんですかね。でも皆と実際接すればもっといいコミュニケーションとれそうですけどね。


意外に難しいし、私にも足りない部分がきっとあります。でもお互いに近づくため協力してほしいし自分もがんばりたいと思ってる。そんな心境。
閲覧ありがとうございました。
台風にお気をつけて。

前期定演成城ステを綴り後期に向かう

前期定期演奏会お疲れさまでした。
(手紙でも反省会でも言わずここで言うってゆーね)
色んなことがあった、本当に。

三大学の催しものとして今までになく楽しかったし先生方や二大学のリーダーをはじめとする皆さんにもとても感謝しているけど、挨拶いったり握手したりしたし愛を綴ってひかれても困るのでSUCCの皆について言及しようと思う。
(そんなこと言わずに素直に今年のSUCC大好きだと言えばいいのにね、思いきって全体LINEのノートにポエムでも載せてしまえばいいのにね、否、それはやりすぎだな、笑えてきた、やめよ)

一言目にはありがとうと言いたい。
今や全員がかけがえのない存在、本当に。
いや、もしかしてはじめからの運命だったのかな。
全員を一行目に書くのは不可能だし、内容とかで特定はされてきちゃうかもしれないけど個人情報は書かないので許してくださいね。

※演奏は良かったけどタネは知りたくない!とかそれでも順位はつけるな!みたいな人もしもいたらば、この先を読まずバックしてください。
はい以下自己責任~

伴奏とピアノを両立させて指揮と歌に応えてくれた人、事務面で全力のサポート音楽面で相当のサポートをしてくれた人、本番間近の大変な時にいち指揮者として歌い手を鼓舞してくれた人、指揮をすごいと言って虹練の前勇気づけてくれた人、安心できる指揮だったといって校歌終了後声をかけて成城ステに向けて勇気づけてくれた人、楽典を開いてメンバーの普段のやる気を引き出してくれた人、虹と成城ステどちらも楽しめるように練習計画の一部を提案してくれた人、練習時間をとても大切にして積極的に声かけをしてくれた人、練習中全体に向け意見を求めたら必ず前向きな意見を言い続けてくれた人、練習に行く度必ず笑顔で声をかけてくれた人、どんなに忙しくても必ず練習ができるだけの準備を整えてくれた人、パート練習の時誰よりも素直にやるべき部分を指摘してくれた人・誰よりも素直にどんな分野にも反応してくれた人・練習外で音源をきいて自主練をしてくれた人・リーダー練をはじめ他パートのパート練まで引っ張っていってくれた人

成城メンバーの校歌練のとき真っ先に意見してくれた人、一番はじめのいっしょにのはじめ方を確認してくれた人、いっしょにのpp前の間を大切にしたいといってくれた人、全体像を見て秋のまんなかでを詰めたいといってくれた人、本番間近だからと妥協せず雨の盛り上がり部分の指揮への願望を伝えてくれた人・同じようにボカリーゼ部分の願望を伝えてくれた人、あいたくてのアンサンブル練でユニゾンを大切にしたいと言ってくれた人、あいたくてからはじまりの間を大切にしたいといってくれた人、はじまりのピアノスフォルツァンドアッチェントをもっと生かす方法があるはずだと力説してくれた人

さっきもいったけど先輩にもすごく感謝してます。
飲みの席で(私のんどらんけど)励ましてくれたり、新刊の時も併せて練習見に来て刺激をくれたり、譜めくりに加え練習に関する意見をくださったり、差し入れくださったり、てか、全員で見に来てくださったのとてもびっくり。

そして半年ばしばし指揮の指導を受けながらだいぶマルチタスカーになることができた誰かさんもね。

一人でもいなきゃ成功はあり得なかった。
数的に全員になっちゃったけど、同じ要素を持っている人が複数人いたりもする。でも、だれひとり欠かせないよね。いや、びっくりだよ本当。

もっと上の先輩も、歌良かった、指揮良かった、指揮で歌ってみたくなった、はじまり良かった、はじまりなつかしかった、いーてぃーしー
いってくださって、ほんとにありがたい。

あと、ここまで読んでくださってありがとう。内部の人にしろ外部の人にしろ、30人近くもの他者が称賛されてる文章をにこにこ顔で読んでくださったあなた様の心はさぞ美しいでしょう。




で、終わった翌日に投下しもせず、反省会でこの文章を朗読しもせず、今まであたためていた理由は、次に進みたいからなんです、うん。




確かに素晴らしかったと思う。だが、目指すものがこれの延長戦上のままは少し味気ないなとも思う。

後期きっと執行も環境も大変になる。でも、全員必要な奇跡のメンバーなんですよ?もっと多くのメッセージを伝えられる、もっと多くの意見を反映させることができる。もっと自然に練習自体楽しくなる、本番自体楽しくなる。そんな予感がする。

物理的な問題はさておき皆の意見を全て取り入れるまでにはいたらなかったように、今まで見せていた私も全てではない。皆もそうだと思う。

もう既にすごいやる気で前に進もうとしてる人がいるのも私はひしひしと感じ取っている。練習計画についての話合いだったり、気合いの入った応募だったり、事務連絡だったり、日頃の会話だったり。

音楽が好き・SUCCが好き
全員どちらもそうだったらベスト、何人かどちらかひとつだとしたって、必ずわかりあえる部分はでてくる

たぶん、後期からはまた変わった練習、変わった音楽になっていくと思う。お互いに理解されえないこともするだろう。疑問や不信はそのままにしてほしくはないけど、ひとりひとりを信頼できる環境、それに近い環境を演奏会当日までに築いていこう。

これを短くいうと
「前期とっても良かったと思います、後期もよろしくお願いします!」
になるわけだ。ありとあらゆるリーダーの心情が少しだけわかるね。

多くを語らない人は大成するとよくいうけど、その他の人はそこでとまるとも限らないし、なにしろ「それでいいと思う」「ちゃんと伝えてほしい」「もっと気持ちを言って」「もっと意見をきいて」と半数以上の人に枷を外す言葉をかけられた以上、皆の気持ちが傍にあるかぎりノンストップでいくよ

では最後に

前期とっても良かったと思います、
後期もよろしくお願いします!